立ち直れない日本とブランド国家論
ブログ界隈で以下の記事が話題になっていて(というか、はてブで見かけただけだけど)
» On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう
渡辺千賀さんの記事で
これまでずっとなるべく言わないようにしていたのだが、もう平たく/明快に言うことにしました。
1)日本はもう立ち直れないと思う。
とのこと。
で、これに関して少し。
これは、何に対して立ち直れないか?という思いがあります。
文章内で
国内経済に活力はないが
多くの貧困層に分離
などの記述にあるように、経済力をベースにした判断なのかと読めます(骨子の論拠は明確には書かれていないのでわかりませんが)。
そして、経済力に関しては、諸処の要素を組み合わせれば、確かに日本の今後は今までとは趣が変わるだろうなぁ、という想像はたやすいです(メインが人口減、あとは高齢者層の増加、教育格差、ドメスティック経済圏、IT界隈での存在感などなど)。そういうのは今更始まったわけでなく、少子化に関してはメディアに取り上げられ初めてきたのは10年弱くらい前から。確か専門家は「20年くらい言ってきた!」という人も見かけたことがあるので、まぁ昔から言われているのでしょう。そして昨今、改めてそれが明確化されてきた、と。
私自身もまさにそういう思いがあったので、アメリカに留学しました。しかしながら、やはりアメリカと日本では経済力だけで比較をすることはできません。そこで、気づいたのは「経済力(わかりやすくいえばGDP)」で比較するということ自体が今後、間違っているのではないか?という思いでした。
そこで、2001年(2002年だったか)あたりより研究を始めたのが、ブランド国家論でした。ちょうど、当時、私は国際政治をまじめに学ぶ学徒だったのですが、その界隈の著名な雑誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」を楽しく読んでいました。米外交問題評議会(CFR)のジャーナルというタイトルからもわかるようになかなかハードコアな雑誌です。
そこで、ちょうどオランダの学者、ピーターヴァンハムが提唱した「brand nation」という論文がありました。まさにブランド国家論です。当時の背景としては、EUの勢いが強く、その中でオランダなどの中堅国家は存在感が弱くなってきていました。あるいは、この概念は「軸をずらそう(脱構築まではいきませんが・・・)」という話なので、アメリカからも出る論旨ではありません。そういう流れもあって、この概念が欧州から生まれたのは不思議ではないでしょう。
日本の今後に多大なる興味を持っていた1人として、その論文はむさぼり読みました。英語だったかと記憶しているのですが、もしかすると日本語でも出ていたかもしれません。図書館探せばあるかも。
比較的短い論文でしたが、その中には、タイや台湾、イギリスなどがブランド国家計画を行っているというもので、今後、そのような概念が国策(国のグランドデザイン)として欠かせないという話です(もう少しややこしい話だった気もしますが)。日本のケースを調べたところ、堺屋太一さんが似たようなことを旗振りをやっていたようですが、今は聞きませんので、不明です。これは言葉でいうと「ふーん」という感じですが、国際政治的には非常に興味深い試みだったんじゃないでしょうか。
というのも,いわゆる「国益」(外交で重要な概念ではありますが)というものは日本においては定義されていなかった気がします。つまり国の存在価値の議論があるとともに(古代からひもとけば)、同時に、国の目標も議論として存在するべき議題でした。
アメリカはおぼろげながら定義されていたかと思いますが(ブッシュの時あたりは民主主義の拡大とかだったでしょうか。違うコンテクストだったでしょうか。間違っていたらごめんなさい)。その国益が定義されず日本が運営されているというのも興味深い話なのですが、つまりは、ブランド国家は、その命題にも携わってくる問題なのです。そういう意味ではかなり野心的な試みと言えるでしょう。逆にいうとそのような取り組みをしないと、各国は
存在意義を問われるというほど切羽詰まった問題だったこととも考えられます。これがインドや中国、アメリカ、ロシアなどではあまり行われていないというのもそれを示唆しているかと思います(弱気になっていく国が取り組む命題)。
ブランド化すると何がいいのか?と言うと、1つは政治的な意味でのプレゼンスが確保できるということです。まだまだ国際政治でハードパワーなやりとりが行われている昨今においては、このようなソフトパワー(C:ナイ)も重要です(厳密にいうと、これはナイの定義するソフトパワーとは異なりますが、対比の1つとして利用)。
もう1つは観光の力を活用できるということでしょう。日本におけるGDPの0.1%ほどですが、確か南アフリカでは、10%弱にも達するという憶えがあります(そういう意味でアフリカが内戦が多いというプロパガンダは実質的な意味でアフリカの経済をひっぱることになっています)。
まぁ、いずにせよ、結局、GDP一辺倒の指標からはいつか逃げ出すという選択肢もあるでしょう。そして日本が経済で過去のas no.1の栄光を取り戻せないならば、そちらに賭けるのも一興です。そういう思いで私は大学時代をこれを学ぶことに費やしました。その演繹として大学時に休学し、1年で80カ国を回りました。フィールドワークという意味では非常に意義深いものでした。
そこで、私は日本のブランドはこれだ、というものを暫定的ながら得ることができました。よく飲み会の席で聞くのですが、相撲、寿司、経済力、メーカーの力、温泉など色々でてきて興味深いです。答えを言うのはつまらないので、言いませんが、まぁ、いずれにせよ、そのように国のブランドを活用することによって、国は存在価値を得るのです。もちろん、これには課題や反論も多々あるでしょう。そもそも生活と密接に関係しているのは経済ですし、ブランドがあっても経済がダメではそもそも論話にならないでしょうし、今でもある程度のブランド化はしているという見方もあるでしょう。ただ、やはり、国家レベルでブランドに注力することは、1つの試みとして興味深いと考えております。
そしてこれはまだライフワークでブランド国家論を考えている昨今であり、実はそのような背景がアルカーナの理念とも関係していたりします。
アルカーナの理念は「個人のエンパワーメント」ですが、これは「個人が活躍できる世界は素晴らしい」という思いがあるとともに、マクロ的にも日本は個人の力を欲しているのではないかと思ったりします。単純に経済力の低下を人口に依るとすれば(他の要素も無数にありますが)、そして、人口減が前提としてずらせないものならば、じゃあ、その人口が減る世界で、いかにパフォーマンスをあげるべきか?という命題になります。その結果、「活躍できる人口を増やす」ないし「個人のパフォーマンスをあげる」ないし、「その両方」で解決できるようになります。そこで、個人のエンパワーメントが繋がってくるわけです。2つの点から個人の活躍は個人のパフォーマンスをあげると思っています。1つは、個人は自分のしたいことをしている時が一番アウトプットがでる傾向にある(という仮説)、もう1つはミルではないですが、適材適所が一番有効に働くのが個人という単位での動きだと思うからです。もっともこれらも仮説ですし、全員が個人という単位になるとそれは逆効果なので、最適な分配はどの程度まであるかは検討を要しますが。
なーんて、ことを該当記事を見ながら思い出しました。
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