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	<title>アルカーナな日々</title>
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	<description>夢は国を作ることです。</description>
	<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 00:33:04 +0900</pubDate>
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		<title>メールの返信には1分もかからないと思っていた若かりしころ</title>
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		<pubDate>Fri, 07 Aug 2009 09:33:04 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[学生の頃、社会人の方々とやりとりをすることがあった。忙しい人だと、なかなかメールの返信を頂けないこともあった（一週間以上とか）。
先方も忙しいし、しょうがないと思っていたのだけれど、同時に「このメールの内容なら返信が1分もあれば返せるのに」とも思っていた。つまり、「先方が毎日、夜、深夜まで飲みにいっていること」を知っていて、そういう時間あれば、10分でも明けてもらって、メール返信頂けないのかしら？と思った時があった。
でも、今、自分が少しばかり大人になって思うのは、「多分、そういうことじゃないんだな」と気づく。
つまり、先方はそのメールだけを受け取っているのではない。同時に無数のメールを受け取っている。よって「そのメールを返すのには、1分もかからないかもしれないけれど、そのようなメールが100通もあれば、100分かかってしまう」ということになる。
当たり前といえば当たり前なのだけど、最近、改めてふと思った。
それはtwitterのライムラインを見ていてだ。
たとえば、自分が先方の原稿を待っているとする、あるいは見積もりを待っているとする、あるいは納期が過ぎていて、アウトプットを待っているとする。先方がtwitterにコメントを書き込んだ。それを見て、「ああ、そんな暇あるなら、早くくれよ」と思う。
でも、そういうことじゃないよなぁ、と。
＃昨今、学生の頃と逆のパターン（急かされる側）になってしまって改めてそう思うのかもしれない。
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		<title>メールの処理速度</title>
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		<pubDate>Sat, 20 Jun 2009 16:23:34 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[メモ]]></category>

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		<description><![CDATA[溜まったメールを返信していて、ふと思ったのですが。
メールというものも、返せば返すほど、その速度は速くなっていくのかしら？という命題にふと至る。スポーツなどはその傾向にあります。毎日走り込めば走り込むほど早くなる。楽器の練習やタイピングもそうですな。
読書のような作業もそうかもしれない、実体験ベースであり根拠はないけれど。これは目の追える速度が代わってくるのかしら。あと、単純に特定の分野の本をまとめて読むと最初は、知らないことが多いので時間がかかるが、読み込んでいくと、すでにある知識が活用され処理速度も変わってくる。いわゆる「人生の長さ（若者よりシニアの方が時間の体感速度が速い）」という問題にも少し近いのかもしれない（そうでないかもしれないけど）。
ただ料理なんかは、天性のものや趣味・嗜好があるので簡単にはその傾向と比例関係にあるとは言えないかもしれない。ただ技術的な面でいえば、経験すればするほど、千切りやシュークリームの作り方は慣れてくるのだろう。これはアートの分野にも言えるかもしれない。写真は初めて撮る人でも、とても美しい写真を撮る人がいるが、ずっと経験しても報われない人がいる。傾向としてある程度の相関関係はあるのかもしれないけれど、なんというか技術的なものにどれだけ寄っているか、ないしセンス的なものに寄っているかの配分が上記をわかつかもしれない。
そこでメール。
メールは、よく書く人はとても良く書く人で、あまり書かない人はあまり書かない人だ。中間はあまりないような気もするけれど、普通に考えれば平均的な人も存在するだろう。そこで、上記を思いついたのだが、あまり書かない（返信をしない）という人は趣味の問題や性格の問題、何より「時間がない」という問題があるのかもしれないが、いずれにせよ、あまり書かないので、「メールの練習」は少なくなる。逆に「よく書く」人はメールの練習を多く重ねることになるので、処理速度はあがる傾向にあるかもしれない。そうすると、両者のギャップはますます大きくなり、書く人はとんでもない天文学的メールを処理するし、そうでない人はそうでない。どちらがいいというわけでもないけれど。
携帯のメールも当てはまるだろう。私は携帯メールは基本的にPCからしか返さないので（imode.netという素晴らしいサービスが世の中にはある）、携帯の文章入力速度は遅い気がする。というか、性別：女性、年齢：ワカメの人に比べるとどう考えても遅い。iphoneはそれなりに早くなった気がするが、携帯メールはなぜか遅い。おそらく上記と同じ問題であまり書かないからだろう、という当たり前で何の示唆もない答えにたどり着く。
結論は何もないし、メッセージも何もありません。あしからず。
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		<title>システム化していること</title>
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		<pubDate>Wed, 03 Jun 2009 23:12:23 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[メモ]]></category>

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		<description><![CDATA[いきなりですが私が日常化している作業メモ。
以下のけんすう氏の「システムを基礎として考える」を見て思いつき（もちろん以下の論旨と違う話にはなりますが）。
&#187; [書評] 僕が2ちゃんねるを捨てた理由 : ロケスタ社長日記

名刺をもらったら、必ず挨拶メール
2004年くらいから、名刺交換をした場合、基本的に必ず挨拶メールを出すようにしています（一部例外ありますが95％ほど）。理由は「挨拶をしたいため」というのが主な理由ですが、他には「Gmailにアーカイブ化されるため、後々検索すれば、その方の連絡先を見つけることができる」「その方のサイトを見るきっかけとなる（名刺を帰ってから見ることになる）」「自分が何をしゃべったかを少し追記するので、後々の自分のための情報共有もかねて」などの効用があります。
走る
これは1999年くらいから。海外旅行中だけ例外。これは走り始めた理由としては「自分は体質的に太る体質である。だからとて、それを弱みにするのはつまらないから、それをプラスにしよう」という発想で始めたもの。週1回くらいではありますが、いまや走らないと気持ち悪いという感覚が身体に埋め込まれています。
ブログにコメント返しをする
これもスパム以外はほぼ例外なくレスコメントをしているかと（見逃している場合は除く）。これはシステム化というよりも「必ず返信する」というのをモットーにすれば、返す時に「返した方がいいかどうか」を悩まないで済むための効用。
メモは全てGmail管理
これも多くの人がしていますが、メモは携帯メールに書いて、自分のメールに飛ばしています。理由は、メールは必ず見るものなので、その時に、そのメモを処理できることになります。その処理先としては「CheckPadの該当カテゴリに入れ込む（すること、買うものなど）」「確認する（サイトやスケジュールなど）」
年賀状を出す
これも、「1度年賀状を出すのをやめると、次の年から出すのが大変」というネガティブ的要因により続けています。これは、10歳くらいの時から、ずっと続いているんじゃないかなぁ。

とりあえず思いつきでした。
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		</item>
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		<title>立ち直れない日本とブランド国家論</title>
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		<pubDate>Tue, 28 Apr 2009 23:05:15 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[ブログ界隈で以下の記事が話題になっていて（というか、はてブで見かけただけだけど）
&#187; On Off and Beyond: 海外で勉強して働こう
渡辺千賀さんの記事で

これまでずっとなるべく言わないようにしていたのだが、もう平たく／明快に言うことにしました。
１）日本はもう立ち直れないと思う。

とのこと。
で、これに関して少し。
これは、何に対して立ち直れないか？という思いがあります。
文章内で
国内経済に活力はないが
多くの貧困層に分離
などの記述にあるように、経済力をベースにした判断なのかと読めます（骨子の論拠は明確には書かれていないのでわかりませんが）。
そして、経済力に関しては、諸処の要素を組み合わせれば、確かに日本の今後は今までとは趣が変わるだろうなぁ、という想像はたやすいです（メインが人口減、あとは高齢者層の増加、教育格差、ドメスティック経済圏、IT界隈での存在感などなど）。そういうのは今更始まったわけでなく、少子化に関してはメディアに取り上げられ初めてきたのは10年弱くらい前から。確か専門家は「20年くらい言ってきた！」という人も見かけたことがあるので、まぁ昔から言われているのでしょう。そして昨今、改めてそれが明確化されてきた、と。
私自身もまさにそういう思いがあったので、アメリカに留学しました。しかしながら、やはりアメリカと日本では経済力だけで比較をすることはできません。そこで、気づいたのは「経済力（わかりやすくいえばGDP）」で比較するということ自体が今後、間違っているのではないか？という思いでした。
そこで、2001年（2002年だったか）あたりより研究を始めたのが、ブランド国家論でした。ちょうど、当時、私は国際政治をまじめに学ぶ学徒だったのですが、その界隈の著名な雑誌「フォーリン・アフェアーズ・リポート」を楽しく読んでいました。米外交問題評議会(CFR)のジャーナルというタイトルからもわかるようになかなかハードコアな雑誌です。
そこで、ちょうどオランダの学者、ピーターヴァンハムが提唱した「brand nation」という論文がありました。まさにブランド国家論です。当時の背景としては、EUの勢いが強く、その中でオランダなどの中堅国家は存在感が弱くなってきていました。あるいは、この概念は「軸をずらそう（脱構築まではいきませんが・・・）」という話なので、アメリカからも出る論旨ではありません。そういう流れもあって、この概念が欧州から生まれたのは不思議ではないでしょう。
日本の今後に多大なる興味を持っていた1人として、その論文はむさぼり読みました。英語だったかと記憶しているのですが、もしかすると日本語でも出ていたかもしれません。図書館探せばあるかも。
比較的短い論文でしたが、その中には、タイや台湾、イギリスなどがブランド国家計画を行っているというもので、今後、そのような概念が国策（国のグランドデザイン）として欠かせないという話です（もう少しややこしい話だった気もしますが）。日本のケースを調べたところ、堺屋太一さんが似たようなことを旗振りをやっていたようですが、今は聞きませんので、不明です。これは言葉でいうと「ふーん」という感じですが、国際政治的には非常に興味深い試みだったんじゃないでしょうか。
というのも，いわゆる「国益」（外交で重要な概念ではありますが）というものは日本においては定義されていなかった気がします。つまり国の存在価値の議論があるとともに（古代からひもとけば）、同時に、国の目標も議論として存在するべき議題でした。
アメリカはおぼろげながら定義されていたかと思いますが（ブッシュの時あたりは民主主義の拡大とかだったでしょうか。違うコンテクストだったでしょうか。間違っていたらごめんなさい）。その国益が定義されず日本が運営されているというのも興味深い話なのですが、つまりは、ブランド国家は、その命題にも携わってくる問題なのです。そういう意味ではかなり野心的な試みと言えるでしょう。逆にいうとそのような取り組みをしないと、各国は
存在意義を問われるというほど切羽詰まった問題だったこととも考えられます。これがインドや中国、アメリカ、ロシアなどではあまり行われていないというのもそれを示唆しているかと思います（弱気になっていく国が取り組む命題）。
ブランド化すると何がいいのか？と言うと、1つは政治的な意味でのプレゼンスが確保できるということです。まだまだ国際政治でハードパワーなやりとりが行われている昨今においては、このようなソフトパワー（C:ナイ）も重要です（厳密にいうと、これはナイの定義するソフトパワーとは異なりますが、対比の1つとして利用）。
もう1つは観光の力を活用できるということでしょう。日本におけるGDPの0.1％ほどですが、確か南アフリカでは、10％弱にも達するという憶えがあります（そういう意味でアフリカが内戦が多いというプロパガンダは実質的な意味でアフリカの経済をひっぱることになっています）。
まぁ、いずにせよ、結局、GDP一辺倒の指標からはいつか逃げ出すという選択肢もあるでしょう。そして日本が経済で過去のas no.1の栄光を取り戻せないならば、そちらに賭けるのも一興です。そういう思いで私は大学時代をこれを学ぶことに費やしました。その演繹として大学時に休学し、1年で80カ国を回りました。フィールドワークという意味では非常に意義深いものでした。
そこで、私は日本のブランドはこれだ、というものを暫定的ながら得ることができました。よく飲み会の席で聞くのですが、相撲、寿司、経済力、メーカーの力、温泉など色々でてきて興味深いです。答えを言うのはつまらないので、言いませんが、まぁ、いずれにせよ、そのように国のブランドを活用することによって、国は存在価値を得るのです。もちろん、これには課題や反論も多々あるでしょう。そもそも生活と密接に関係しているのは経済ですし、ブランドがあっても経済がダメではそもそも論話にならないでしょうし、今でもある程度のブランド化はしているという見方もあるでしょう。ただ、やはり、国家レベルでブランドに注力することは、1つの試みとして興味深いと考えております。
そしてこれはまだライフワークでブランド国家論を考えている昨今であり、実はそのような背景がアルカーナの理念とも関係していたりします。
アルカーナの理念は「個人のエンパワーメント」ですが、これは「個人が活躍できる世界は素晴らしい」という思いがあるとともに、マクロ的にも日本は個人の力を欲しているのではないかと思ったりします。単純に経済力の低下を人口に依るとすれば（他の要素も無数にありますが）、そして、人口減が前提としてずらせないものならば、じゃあ、その人口が減る世界で、いかにパフォーマンスをあげるべきか？という命題になります。その結果、「活躍できる人口を増やす」ないし「個人のパフォーマンスをあげる」ないし、「その両方」で解決できるようになります。そこで、個人のエンパワーメントが繋がってくるわけです。2つの点から個人の活躍は個人のパフォーマンスをあげると思っています。1つは、個人は自分のしたいことをしている時が一番アウトプットがでる傾向にある（という仮説）、もう1つはミルではないですが、適材適所が一番有効に働くのが個人という単位での動きだと思うからです。もっともこれらも仮説ですし、全員が個人という単位になるとそれは逆効果なので、最適な分配はどの程度まであるかは検討を要しますが。
なーんて、ことを該当記事を見ながら思い出しました。
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		<title>ウェブにおける文章の読み方</title>
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		<pubDate>Sun, 26 Apr 2009 12:44:51 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[先日、あるメールマガジンを友人に転送した。その人に参考になりそうだったからだ。
しかし、その人から意見は意外なものだった。
文章ひどい。読めない！
ほほう、と私は感じた。私はそのように感じなかったからだ。そしてその人も文章が読むのを苦手ではなかった（ロシア文学とかも平気で読むし）。
たしかにそのメールマガジンは文章量は多い。ただ、内容は一般的なネットの文章と変わらない。むしろ、構成が読みやすいくらいだ。
そこで気づいたのだが、ネットでの文章と一般の文章は違うものではないか？と。当たり前といえば当たり前なのだが、何が違うかと考えると興味深い。
これは、メディアや読み物の文章は他の媒体と大きく変わらないので、おそらくブログや日記での文章の特製をネットでの特殊な文章だと仮定する。その場合、それらに見られるのは、過去には「文字いじり」といった文字のフォントや色を変えて読ませる文章。昨今では、CAの藤田社長のブログにあるような「行間を大きくして改行を多くする文章」もよく見かける。あるいは、Lifehacks系の文章では、段落と引用文を多様して,構造的な文章が多い。ただこれらは結局個別論だ。
何よりインターネット媒体の特質は「横書きで、かつ、縦に長い」ということに尽きる。そこで、気づいたのだが、ネットの文章を早く読む人の特徴は、マウススクロールを活用しているのではないか？と思った。これは数人を頭に思い浮かべて、その人のマウススクロールの音を思い出しただけなので、論拠は特にない。
そこから、少し話はずれて、速読の話に入る。速読はいくつか方法はあるものの、1つの方法として、複数の行を1つのブロックとして捕らえるというものがある。つまり、1字1句を読むのではなく1行一気に読む（この時、音読しないことが重要。それがボトルネックになるので）。そして、次に数行続けて読む。最終的には、ページの右上から左下に視線を滑らせて一読するというものとなってくる（フォトリーディングもこれに近いかもしれない）。
そして、ネットの文章は、まさにこれに適している。つまり、左側に目線を固定して、あとは目線を大きくとる（右側の文章も認識できるようにする）。そして、あとはマウススクロールで一気にページをスクロールダウンすれば、長文でもすぐに読むことができる。というか、むしろこのように読まないと、Webの長文なんて読めない。その中で必要な箇所だけピックアップして読めばいい。重要な箇所は、書籍と違い太字や色が付けられていることもあり、必要な箇所を見つけるのにそうそう困らないだろう。
ただ、こう考えた場合に、ファーストパラグラフの重要性を思い出した。いわゆる英語の読み方で勉強された方もいるかと思うが、第一のパラグラフで文章の概要を伝える、ないし、ファーストセンテンスでそのパラグラフの内容を伝えるなどの手法（だった気がするけどさすがに受験を離れて遠いので忘れました）。仕事がら、海外の記事は読む方だと思うが、あんな英語の文章を1からしっかり読んでいたらいくら時間があってもたりない（NY timesとかWashinton Postの特集記事や、なぜか濃密な長文ブロガーたち）。そこで、上記の方法が効率的に作用する（ある程度）。
しかし、日本では、あまりそのような「最初の段落に伝えたいことを言うべし」というようなメソッドは聞かない気がする。むしろ、オチはちゃんと最後までとっておいてね、というケースが多い。だから何？というわけではないがネットでの効率的な情報収集のニーズが高まれば、そのような「概要」を記す記事も増えてもおかしくない。
あとは、ネットの特製として「タイトル」の重要性があげられる。リンクの文章としてもタイトルは活用されるため、人によっては1：9の割合で、内容よりタイトルの方が重要だ、という人もいた。そう考えると、タイトルは内容を把握する役目も担っているのかもしれない（ニュース系の記事だとタイトルで内容の8割くらいは理解できることも多い）。ただ、これは一種の仮説思考（タイトルから内容を推定する）になっているのかしら、と気づいた。
他には、多くのパラグラフもあげられるかもしれない。英語ではそのままだが、日本語では、段落を分けることはそんなに多様されていなかった。しかしブログなどでは、かなり細かにパラグラフがわけられている。それによって、その文章の固まりがどのような意味を伝えているかわかりやすくはなっているかもしれない。
まぁ、つれづれぐだぐだと書いてしまったが、ネットの文章というのは、書き方が独特だけでなく、読み方も独特なんではなかろうか、と思った次第。つまりはネットの文章をあまり読んでいない人とよく読む人では、同じ記事を読んでも、読み方も異なれば、受け取る情報が異なるかもしれないなぁ、と思いました。
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		<title>誕生日に関して思うこと</title>
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		<pubDate>Thu, 23 Apr 2009 09:49:35 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[ベンチャー業界の著名人勝屋久さんがメールマガジンを始められたそうで、購読。日本の地方における良い店や場所などを紹介されるとのことで、ブランド国家を学ぶ個人としては興味深いところ。
&#187; 勝屋久の情熱∞日本紀行 - まぐまぐ！
その中で、誕生日に関する興味深い記述がありました。
今月は私の47回目の誕生日がありました。
誕生日ではお祝いをしてもらったりして、そのときはとてもうれしく、
本当にありがたい気持ちになるのですが、どうも自分では毎年くる
誕生日が特別な日だという感じが昔からしなかったのです。
以前、ある友人に「誕生日は特別な日という感じがしない。」と話したら、
「それは自分の存在にOKをだして（認めていない）じゃないの？」と
いわれたことがあります。それに対してむきになって「自分の存在意義は
・・・・だ」と反論してしまいました。
これで、思い出したことが自分の誕生日の認識。
「誕生日というのは、自分が何もしなくても1年に1度は回ってくる。そのような規則的に得られる日は大切ではないのではないか？」という認識がありました。努力して誕生日を迎えたり、何かの縁やキッカケ、成果によって誕生日がくるならまだしも、生きているだけで得られる日というのは、他の祝うべき日に対して、相対的に希少度は低くなります。そのため、誕生日を祝うのは、他の祝うべき日に対して失礼ではないか？と思っていました。
もちろん自分の生を見直したり、1年に1度だからこその排他性による希少度、親や周りに感謝する日などのアクションを起こすためのきっかけ日としては良いのですが、それならば周りに祝ってもらうのは何だかフェアではなく、自分でその日を見つめるだけで事が足るのではないか？と。
ただ、最近、ふと考えたのは、誕生日にも祝うということの起源があるのではないか？という点でした。
つまり、過去には「誕生日をお祝いする」という文化がない時代があったでしょう（おそらく）。しかしいつからか誕生日を祝うようになった。それには何かしら理由があるはずです。ホワイトデーのような企業のマーケティングという側面があるような日もあるので、誕生日もどこかのお殿様か財閥が仕掛けた可能性もありますが、ただそれなりの潜在的ニーズがあったからこそ受け入れられたと考えれば、やはり、そもそも誕生日のニーズはあった。
それを鑑みるに、「自分だけの祝い日」というものは、よく考えると誕生日以外はほとんどないことに気づきました。つまり、任意の個人1人を祝いたい場合、誕生日以外のオプションはあまりないのです。もちろんバレンタインデーやクリスマスなどにひっかけて相手を祝うということは可能ですが、それの祝う根拠は低いですし、そもそも、その日は全国的に同一日なので、複数の人を祝うことができません。誕生日というのは1年に分散されているからこそ、誕生日トラフィックジャムが起こりにくい利点があります。
そう考えると、仮説でしかないですが、何かしら個人を祝うキッカケというものが人間のコミュニケーションには必要であり、その記念日の受け皿として誕生日が選ばれたのではないかと考えた次第。もしかすると、「進路を決めた日」「初恋の日」「初めて寝返りをした日」でもよかったのかもしれませんが、便宜的都合で誕生日の方が楽ですから。
というようなことを、まじめに考えたわけではなく、半分冗談ではありますが、そのようにして誕生日の価値を何だか思う次第。とはいえ「個人を祝うキッカケが人間のコミュニケーションに必要だった」のかどうか、必要だったならばなぜ必要なのか？という点はさらに検討する必要はありますが。
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		<title>狭い世界</title>
		<link>http://www.arcarna.com/harada/?p=51</link>
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		<pubDate>Sat, 18 Apr 2009 13:59:53 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[独り言]]></category>

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		<description><![CDATA[最近、完全に引きこもっており、飲み会も交流会も花見も新年会も不義理ばかりである。
しかし、昨日はふらっとお声をかけて頂いた勉強会に参加した。勉強会の内容とその枠（イベント）に興味があったのだ。
そこで驚いた。20人～30人くらいのメンバーだったと思うのだが、ご縁のある方にお会いした。もちろん知人や友人などはIT業界も狭いから会うことはあるだろう。しかし、そこでお会いしたのは、ちょっと普段とは違う方々だった。
1人は大学時代のゼミの友人。5年ぶりの再開。
そして、コンサル時代の同期。これも3年近くぶり。
さらには、インターン時にご一緒していた方。これは4年ぶり。
うーむ、と思わずうなってしまったご縁だった。
世界は狭い、特にネット業界はなんだかんだいって狭すぎる業界で、大体3人も通せば誰かには繋がるような世界。六次の隔たりそこのけである。
そこで思い出したのだが、自分自身の奇遇な邂逅（どこかのブログに書いた気もするが）。
彼と初めて会ったのはジンバブエ だった。同じ大学で、私と同じように休学していた。さらには同じ学年だった。そんな彼とたまたまジンバブエの同じ宿の同じ部屋になった。
そして彼とビリヤードやとうもろこしを楽しむ日々で、私は南アフリカに旅立ち、彼は残った。
次に再開したのは、ハンガリーのブダベストの宿だった。その時、私は西アフリカを回ってたどり着いたので時間的には2ヶ月後くらいだろうか。
彼がなぜそこにいたかというとマラリアに感染し緊急輸送されたそうだ。そこでの再開を楽しみ、次に私は北欧を目指した。彼は別の街に旅立った。
そしてアムステルダムで落ち合い（これは意図的）、そして、パリでも落ち合い（これも意図的）、そして、ニースのマクドナルドで偶然再会した。
その後は、日本の三田キャンパスのベンチの前で再度、再開することになるのだが、改めて世界は狭いなぁ（あるいはパッカーの日本人コミュニティが狭いのかもしれないけれど）、と感じる出来事だった
]]></description>
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		<item>
		<title>ブログのすばらしさ-世界にあふれかえる知識</title>
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		<pubDate>Fri, 03 Apr 2009 22:50:00 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[考え]]></category>

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		<description><![CDATA[4月になったこともあり、ブログの再開を検討。メンバーズブログのブログ更新が 減ってしまうのも悲しくもあり。
最近、改めて思うのだが、ブログの功績は非常に大きいのではないかと思う。
2004年ごろから注目を浴びて、2006年ごろにはメディアとして十分な地位を確立したブログだが、2007～8年くらいより、芸能人の利用やそれに伴う女子高生などの利用も増え、同時にレシピブログなどで主婦なども展開。またSNSで「日記」というものを書き始めた層がブログに流れる。
またブログのマネタイズ方法もふえ（AMNなどのブログネットワークや、アフィリエイト・PPPなどの換金手法、Adsenseなどの認知拡大、書籍化などなど）、ブログスフィアはますます拡大しているようにも思える。
改めて、そのようなことを感じるのは、「素晴らしいブログ」を見つけた時だ。
私自身、2004年ごろから、ブログはよく見ていたので、その経緯をみながら改めて昨今のブロガーの増加は肌身で感じる次第。ご参考としては、大体毎日数百から1000ほどのブログには目を通しているのではないかと思う。そこでは単に量の増大ではなく、「素晴らしい知識」がブログとして公開されはじめているのだ。
いままでブログでは「面白くおかしい」ものや「ニュースリンク」などが多く、ユーザも集めていた。もちろん専門知識のブログも存在はしていたがまだまだ限定的だった。
しかし、昨今ではたとえば、学者や海外の経営者、士業の方々、各業種の人々（医者から風俗会、出版業界）などなど、今まではブログを書いていなかったような人々の書き手が、かなり増加してきている。
たとえば「広告」に特化したブログだけでも数百はあるだろう。それも単なる広告を紹介するブログだけではなく、広告業界の最前線で闘っている人たちの血肉が込められた文章がそこにはある。
経営者に関するブログだけでも、RSSリーダーには100以上登録しているが、そのどれもが、非常に参考になるものであり、今までは酒の席でしか聞けないようなこと、あるいは酒の席でさえも吐露されることのないような情報がそこでは無料で見ることができる。もはや驚愕を通り越して、僥倖である。もちろんどうしようもないブログもあるが、それらは結局のところやはり玉石混合であり、その中には光続ける素晴らしい文章を山ほど見つけることができる。
また、ブログの検索技術や探索ツールも数多くあふれ、ソーシャルブックマークやソーシャルニュースサイト、アグリゲーターサイト、記事ランキングサイトなどを使えば、溢れる素晴らしい知識に簡単に触れることができる。
今までは個人の中で眠っていた知識が、今やすさまじい勢いでWebの世界に溢れ出している。
当たり前といえば当たり前だが、これは体感すると、感動せざるを得ない。ブログは世界に知識を生み出した。それは、もはやネットの動向という言葉でくくれることではなく、まさに、活版印刷術が生まれた時と同じような今までとはことなった世界がそこにやってきているのだ。
]]></description>
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		<title>一年</title>
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		<pubDate>Tue, 17 Jun 2008 16:26:38 +0900</pubDate>
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		<category><![CDATA[会社]]></category>

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		<description><![CDATA[会社を創業してから1年が立ちました。6月15日が創立記念日です。
まだ1年なので、思い返すのも粋ではありませんし、振り返っていられるような状況でもありません。まだまだ前しか見られない昨今ではありますが、それでも、やっぱり1年という節目を考えると早かったなぁ、とも思います。でも同時に、まだ1年か、とも思うのも人間の不可思議でありまして、そう考えると、まず1年、というところが妥当なのかもしれません。
個人的に誕生日を祝うのは苦手で。理由は色々ありますが、いずれにせよ苦手。ただ、会社の誕生日となると決算やら、書類関連やらでいやが上でも思い出さざるを得ず、それはそれで人の誕生日とは異なった趣があります。
そういえば。
そういえば、昔、昔といっても学生のころですが、ビジネスを考えている時は大体「30年先には何がはやっているか？」ということでした。それは、私自身が、未来に興味があったからといえるかもしれませんし、起業のタイミングがいつになるか読めなかったからかもしれません。あるいは、周りの経済の動きを見て、あまりにも早いサイクルに疲れ、もう少し先を見たかったのかもしれません。たとえば、「ブランド国家論」の研究もそうですし（200年ですが）、日本の飛び地可能性、言語などに興味があったのは、その証左なのかもと思います。
しかし、ビジネスをするには、30年の先を見据えたビジネスをするわけにはいきません。なぜなら30年もキャッシュフローは続かないからでございます。そんなことにこれまた学生時代に気づき、そこから頭の時間軸がだいぶ変わったように思います。
ただ、30年ほど先を考えつつ平行して走るのは可能です。1年2年の先をみつつも、もっと先、あるいはさらに先を考えて動くのは厄介とはいえ不可能ではありません。そんな思いが今、「個人のエンパワーメント」という少々抽象的な言葉に込められていたりもいたします。
まずは1年ありがとうございます。そして今後ともなにとぞ、何卒。
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		<title>経営者とビジネスと</title>
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		<pubDate>Mon, 09 Jun 2008 20:09:32 +0900</pubDate>
		<dc:creator>admin</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[組織]]></category>

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		<description><![CDATA[なんというか、経営というものとビジネスとは違う。
経営は、いわゆる「会社を経営する」者であり、代表などの文言もそれに付随するものとなる。「（会）社の長」である社長もそういう意味だろう。
しかし、いわゆるビジネスは金儲けやマネタイズとも呼ばれるものと考えて頂きたい。そういう場合に、経営とビジネスは当然ながら異なる。
経営者は、組織を考え、人事を考え、事業の総体を考える。そして、その上に（あるいは下に）ビジネスがのっかってくる。多分、その上のような気もするが、どっちもどっちかもしれない。
しかし、ビジネスは、なんだってビジネスになるし個人でもできるし（経営者も個人で担えるがこの場合はさておく）、「一発」当てればいい。
これは、似ているようでも全然違う。当たり前といえば当たり前なのだけれど、日本の法人では、この両方を個人が担うケースが多く、以外と紛らわしい。アメリカなんかだと、金を儲ける人（シードを創る人）と、経営者が別のケースは多いという話はご存じの方も多いかと。
コンサル時代も、そのようなことを考えた。コンサル時代では、営業改革や流通改革、組織設計など、「金儲け」以外、正確に言えば「金儲けに付随する」間接的な業務も少なくない（一般的に）。単純に、お金を儲けるところ（プロフィットセンター）のど真ん中をいじるわけではない。つまり、マーケティングをし続けるわけではない。
ベンチャーなんかだとヒューマンリソースの観点から、この両方を同時にこなす必要がある。これはやっかいでもあり、ハードルでもある。逆に言えば、自分がどちらかに秀でるならば、自分が足りない方は誰かが補う関係になれればそれはそれでかなりの強みとなる。
なんてことを思う。オチはない。
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