2008/6/17 火曜日

一年

Filed under: 会社 — admin @ 16:26:38

会社を創業してから1年が立ちました。6月15日が創立記念日です。

まだ1年なので、思い返すのも粋ではありませんし、振り返っていられるような状況でもありません。まだまだ前しか見られない昨今ではありますが、それでも、やっぱり1年という節目を考えると早かったなぁ、とも思います。でも同時に、まだ1年か、とも思うのも人間の不可思議でありまして、そう考えると、まず1年、というところが妥当なのかもしれません。

個人的に誕生日を祝うのは苦手で。理由は色々ありますが、いずれにせよ苦手。ただ、会社の誕生日となると決算やら、書類関連やらでいやが上でも思い出さざるを得ず、それはそれで人の誕生日とは異なった趣があります。

そういえば。

そういえば、昔、昔といっても学生のころですが、ビジネスを考えている時は大体「30年先には何がはやっているか?」ということでした。それは、私自身が、未来に興味があったからといえるかもしれませんし、起業のタイミングがいつになるか読めなかったからかもしれません。あるいは、周りの経済の動きを見て、あまりにも早いサイクルに疲れ、もう少し先を見たかったのかもしれません。たとえば、「ブランド国家論」の研究もそうですし(200年ですが)、日本の飛び地可能性、言語などに興味があったのは、その証左なのかもと思います。

しかし、ビジネスをするには、30年の先を見据えたビジネスをするわけにはいきません。なぜなら30年もキャッシュフローは続かないからでございます。そんなことにこれまた学生時代に気づき、そこから頭の時間軸がだいぶ変わったように思います。

ただ、30年ほど先を考えつつ平行して走るのは可能です。1年2年の先をみつつも、もっと先、あるいはさらに先を考えて動くのは厄介とはいえ不可能ではありません。そんな思いが今、「個人のエンパワーメント」という少々抽象的な言葉に込められていたりもいたします。

まずは1年ありがとうございます。そして今後ともなにとぞ、何卒。

2008/6/9 月曜日

経営者とビジネスと

Filed under: 組織 — admin @ 20:09:32

なんというか、経営というものとビジネスとは違う。

経営は、いわゆる「会社を経営する」者であり、代表などの文言もそれに付随するものとなる。「(会)社の長」である社長もそういう意味だろう。

しかし、いわゆるビジネスは金儲けやマネタイズとも呼ばれるものと考えて頂きたい。そういう場合に、経営とビジネスは当然ながら異なる。

経営者は、組織を考え、人事を考え、事業の総体を考える。そして、その上に(あるいは下に)ビジネスがのっかってくる。多分、その上のような気もするが、どっちもどっちかもしれない。

しかし、ビジネスは、なんだってビジネスになるし個人でもできるし(経営者も個人で担えるがこの場合はさておく)、「一発」当てればいい。

これは、似ているようでも全然違う。当たり前といえば当たり前なのだけれど、日本の法人では、この両方を個人が担うケースが多く、以外と紛らわしい。アメリカなんかだと、金を儲ける人(シードを創る人)と、経営者が別のケースは多いという話はご存じの方も多いかと。

コンサル時代も、そのようなことを考えた。コンサル時代では、営業改革や流通改革、組織設計など、「金儲け」以外、正確に言えば「金儲けに付随する」間接的な業務も少なくない(一般的に)。単純に、お金を儲けるところ(プロフィットセンター)のど真ん中をいじるわけではない。つまり、マーケティングをし続けるわけではない。

ベンチャーなんかだとヒューマンリソースの観点から、この両方を同時にこなす必要がある。これはやっかいでもあり、ハードルでもある。逆に言えば、自分がどちらかに秀でるならば、自分が足りない方は誰かが補う関係になれればそれはそれでかなりの強みとなる。

なんてことを思う。オチはない。

2008/5/20 火曜日

経営者の役目

Filed under: 組織 — admin @ 3:49:21

最近、経営や組織について考える時間が多くなり。実際、経営者の役目は賛否両論であり一概に言えない。だからこそ、あれだけ経営の本があるのだろう。

経営者、あるいは上司でもいい。つまりは環境を作れる人、の役目を自分なりに考えていた。

それは、社員(あるいはその環境に属する人)のための環境作りが重要なのは間違いない。そして、その環境とは「効率を最大化する環境」というのも大筋間違ってはいない。

そして、問題として、そのようなオプティマイゼーションは、いかなる指針によって行うべきか、というところが論点である。

そこで大企業とベンチャーの違いについて考える。以前、どこかのブログで「ベンチャーで働く奴は休みなんかいらん。休みが欲しいなら大企業いけ」というキツメのアジテーションを読んで、それを思い出す。

ただ、ベンチャーだからとて社員の私生活まで束縛したり健康を壊すようなことがあるとそれは話が別だろう。しかし、社員が自分から望んで休みでも仕事をしているという状態が自然に出来上がれば、それが恐らくよりよい形なのだろう。

では、そのような休みを返上して仕事するような形というものはどういうことか。それがつまり、「好きなことを」仕事とする、ということだろう。当たり前のことだが、これを大企業と対比するとわかりやすい。

大企業は、どうしても「やりたくないこと」をしなくてはいけないことも多い。なぜならば、有る程度、定型化された手順があるからだ。しかし、ベンチャーでは、定型化された手順がないことが多い。これは経営のフレームワークという意味ではなく、その企業に属するものとしてそのような枠組みが決まっていないからだ。その結果、そこに自分の好きなことをする余地が生まれる。

ふむ。ただ、経営者は社員の「好きなこと」を見つけるのではない。それは、個人の問題だからだ。しかし、それよりも重要な役目として、「社員の好きなこと」をビジネスに繋げる役目が経営者の役目なのではないか、と思った。

つまり、経営者はその環境に属する人が好きなことができる職場を造るのではなく、社員の好きなことをすることがビジネスになるという仕組みを作るべきなのだ。もちろんこれは、ケースバイであるけれども。

人はしたくないことをしていると効果があがらない。その上ストレスもたまる。好きなことだと逆になる。

ただし好きなことをさせるのは経営者の「経営」という文字に反していてナンセンスである。あくまでも好きなものを見つけてもらい、そこからの枠組みを必死で作るのだ。

だから私は常に問う。「何が好きなのか」と。もっともその答えが一番難しいのだろうけれども。

2008/5/15 木曜日

睡眠が厄介

Filed under: 独り言 — admin @ 11:18:48

いろいろ会社のことでご報告させて頂きたいこともあるのですが、追々。

最近、自分が抱えている問題に関して。

睡眠が不規則になり、うまくハンドリングできていない。以前までは、きっちと定期的な時間をとっていた。学生時代も、社会人(サラリーマン)時代も。大体1時から2時に寝て、5時から6時に起きるというリズムだった。睡眠を短くし、質を確保するには時間を定期的にとることが何より重要である。言うまでもなく。

ただコンサル時代も徹夜はザラだったので、別段、そのような不規則なこともあったのだが、起きる時間さえ一定にしておけば、何とかハンドリングできた。それが出来たのは、何よりツールの力が大きかった。それは目覚まし8個の力だ。

しかし、今、それが難しく起きる時間を一定することに難儀している。というのも作業の都合で、朝近くまで作業をすることが多々あり、そうなると会社で仮眠を取ることになる。そうすると、会社には目覚ましが1つ2つしかないため、ついつい寝すごしてしまうことになる。気づけば社員の出社で目が覚めてしまう。

またコンサル時代には、会社の机で仮眠をとっていても、誰か別の人の徹夜しているので起こしてもらうこともできた。しかし、今の会社ではまだまだ少ない人数で起こしてくれる方もそうそういない(夜中だと)。そうして、気づけば朝になる。

やはりこういう時に聞くのはモーニングコールである。ただ、単に電話で起こすわけではなく今の時代、メッセンジャーもあれば、Webの目覚まし時計もある。実際、mixiなどでも「○時に電話してください!」というような書き込みもあり、友人にスポットで起こしてもらうという人も存在する。

そしてモーニングコールの楽しさというのは、そこに会話が生まれるということである。それは目覚まし時計もない魅力。そう、目ざまスというのはコミュニケーション形態の一種なのである。

ということで、こんなアイデアを以前、ideamiに投げた覚えがありました。

» P2Pの目覚ましサービス「お前誰やねん、でも起こしてくれてありがとう」 - ideami

実際、少し似たサービスもあるようで。

» 指定した時間に女性がモーニングコールしてくれる無料サービス「AXE WAKE-UP SERVICE INC.」 - GIGAZINE

何か、そのようなモーニングコールで繋がるものっていうのは、何かしら浪漫を感じさせる次第であります。

2008/4/16 水曜日

メールの臨界点

Filed under: 独り言 — admin @ 15:36:11

現代において、仕事において電子メールは欠かせないコミュニケーション手段となっている。いまさら言うまでもなく。

一般的な業界でもそうであるからWeb系の企業だとなお更増える傾向があるという。多い人だと1日数百、あるいは数千に達することもあるとかないとか(千を超えるのは稀としても)。送信するメールだけでも数十は日常であり。

そうなってくると作業の大半がメールに費やされている事実に愕然とすることも少なくない。そして返したメールにさらに返信メールが届き、それが続けばメールは不可逆的に永遠に増え続けるものとなる。

特に日本では、メールにもある程度の丁寧さを求める作法が暗黙のうちに存在しているようで(肌感覚)、なおさら、そのような文章作成に時間がとられがちである。もちろんある程度は定型文やテンプレート、辞書への登録で効率化は図れるが、それでも相当量のメールを裁くには時間の圧縮にも限界があるというものだ。

さらに厄介なのは、少しのメールしか残っていなければ、すぐに返せるものの、ある一定量を越すメールがたまれば、返すモチベーションが反比例して下がっていくという人間の心理である。つまり、数十通ならば「よし、一気に返そう」と思うが、百を超えたりすると、もはや着手するための動機作りに腐心しなければならない。

このような心理状況はメールだけに限らず、日常で体験するものだろう。タスク量もそうだし、もしかすると借金などもそうなのかもしれない。返せる金額だと返そうとするが、返せない金額になると、自己破産へと向かう心理が芽生え始めるのではないかしらん(想像)。

そう考えると、メールをためないコツは、メールをためないことが一番というトートロジーになってきて、まぁ、もちろんいわゆる「GTD」的にシステマティックに対策する方法もあるけれど、やはりそれにも限界がある。

いずれにせよ、メールとの戦いはしばらく終わりそうにない戦場がここにあるなぁ、と。

2008/3/2 日曜日

アルカーナの意味

Filed under: 会社 — admin @ 19:16:44

「アルカーナってどういう意味なんですか?」と聞かれることは少なくない。

場によっては「あるかな、ないかな、アルカーナという意味です」というジョークで返すのだけれども、もちろん、そういう意義が本義ではない。

本義としては会社紹介に書いてあるように「箱舟」という意味を持つ「アルカ」というラテン語と「物語」という意味を持つ「ana」という英語の接尾語を組み合わせた造語で「箱舟の物語」という意味を込めている。

つまり、新しい時代に漕ぎ出すことができるような企業でありたい、という思いである。

こう書けばシンプルだけれども、この名前に決めるまでは、かなり頭を悩ました。そもそも学生時代にブランディングの会社をしていたので、このようなネーミングの案件もいくつか請けていた。そこで、そのようなネーミングのノウハウはいろいろ学んだのだけれど、それをフル活用してきめた。

まず、事前に会社のコンセプトを洗い出す。それこそ出来る限りいくらでも。あとは、言葉のルールを決める。たとえば弊社では、「a」から始まる言葉が良いと考えた。これは知恵の実やチャレンジ、新しい発明を意味する「apple」という語や、時代を作り出した「アポロ11」からあやかって、そうしたかった(もちろん、他にも様々な意図はあったのだが)。それ以外にも、「ヴァ」や「グ」などの言葉が入ると、しゃべったときに、どのような言葉か書きにくい。その点でも、そのような濁音は使わないようにした。

そのような「コンセプト」と「ルール」を掛け合わせて、可能な言葉をどんどんと生み出していく。この際には、9カ国辞典や広辞苑もフル活用する。実際、広辞苑は「あ」のページを全部読み込んだ。

そして、洗い出した言葉を次のフィルターにかける。たとえば、「.com」のドメインが取れるかどうか。世界で勝負したいと考える弊社にとって、それは譲れないものだった。あるいは「ロゴの見た目が良いかどうか」。この点では、arucarnaというスペルは全て丸いアルファベットで出来ており統一感を出している。

そこまで絞ると残る言葉は少なくなってくる。次に友人たちにヒアリングをする。加えて、ダブルミーニングの可能性も考える。このアルカーナという名前は「あるかな?と思った時にはアルカーナへ」というフックをもったミーニングを掛け合わせている。そしてもう1つ、ヒンドゥー語のアルカという語もトリプルミーニングで掛け合わせているのだが、それはまぁ公表しないのでさておく。あとは響きや競合に似た単語がないかも探す。検索して、「まったくない」わけではないけれど「強力な語」がないかも探して落とし込んでいく。

それらのような精査の結果、アルカーナという名前に決まった。大体3ヶ月くらいかかったろうか。もっとも、かかりっきりで行ったのは数週間だけれども全体としては。候補の名前としてはそれこそ数百、もしかすると千くらいは出したかもしれない。

そのような結果、アルカーナが存在しているのです。

2008/1/28 月曜日

電話で思うこと

Filed under: 独り言 — admin @ 22:30:12

会社を経営していると、よく電話がかかってくる。特に営業電話が非常に多い。どこも同じだとは思いますが。

たとえば電話代が安くなる、家を探していませんか、土地買いませんか、広告しませんか、etc・・・。

基本は私自身が受けることは、あまりないのだが、たまに出ることもある。

そんな時、相手のしゃべり方の構成を聞くようにしている。つまり、これらの電話というのは、いわば、「プロの営業電話のノウハウ」を公開するものであるからだ。

もちろんプロではないものもいるし、よくない電話もある。ただ、それなりに聞いていると、参考になる点も少なくない。

たとえば導入。「いきなり質問から入る」というパターンで、まずは答えさせるというケースや、大企業の名前(実際は代理店)を使って安心させるケース。

はたまた、切られそうな時に「違うんです」ととりあえず否定するパターンや「一度だけお会いさせていただけないでしょうか」と無理やり、持ち込むパターン。

弊社はこのような営業電話はしないのだけれど、たまに、こういう電話に逆営業をすることもある。相手は面食らうけれど。

しかし、いつも思うのだけれど、こういう電話で相手を 笑わせる人というのはあまり聞かない。もちろん目的から考えれば、笑わせるのはNGなのだけど、アイスブレークには有効でもある。

まぁ、でも営業電話で笑わせるというのは、相手の空気(口調や高さ)をかなり読む必要があり、割に合わないのかも知れないなぁ、と思う。

2008/1/22 火曜日

特許特許

Filed under: メモ — admin @ 15:44:11

特許を調べる機会があり、色々調べたり伺うことがありました。そのため自分用メモ。

特許は出願すると、内容に問題がなければ出願公開が行われます。1年6ヶ月後になります。

これにより、その特許が出願されていることが周知となります。この時点で公開された特許は、取れるかどうかはまったく関係ありません。ただ、これにより審査請求の権利を得ることになります。

出願者は、それより3年以内に審査請求をする必要があります(2001年10月前までのものは7年以内)。そこで、やっと特許の審査が行われます。

もしその期限が過ぎてしまっても、もうその特許は申請することができません。なぜなら、公開された時点で公知のものになっているとされるからです。

そして、この3年という期間は、企業にアラートを鳴らすという意味もあるそうな。関係するビジネスをしている人は気をつけておけ、と。

また、 ビジネスモデル特許に関してもいろいろ調べましたが、これには2種類あるとのこと。

1つはシステムでの新規性。もう1つは、フローチャートの新規性。ご存知のように、ビジネスアイデアだけでは、特許は取れません。あくまでも、その仕組みの部分がキーになります。

そして、特許で保護されるのは、そのコアの部分だけ。つまり、他の人が同じビジネスをしていても、そのコアの部分が違えば問題ないという可能性があるということ。

個人的に特許という概念に関しては、興味がありもう少し研究を重ねたいところです。

2008/1/15 火曜日

わかっていることとできること

Filed under: 独り言 — admin @ 16:48:53

ニュースを見ていると未来に関する記事を見かけます。

たとえば2012年の予測であったり、今後 くるトレンド、であったり。あるいは新しい特許や発明などなど。

そして「なるほど。これはくるかも!」と思っても、すぐにその波に取り掛かる企業は多くはありません。なぜなら社内調整があり、あるいは社内の方向性があり、はたまた予算の問題があります。

それに「きそうだな」と思っても、くるかどうかが半信半疑な以上、そこにチャレンジするのはリスクが伴います。

たとえば、今後、クリーンテクやモバイルの位置情報サービス、DNA周り、農作物周りなどのビジネスは発展する見込みはかなり高いでしょう。しかし、それでも多くの企業が一気に仕掛けることはありません。

もし「絶対くる!」と思っていてさえも、できないのが現状です。結局、ベンチャーが新しい種を掘り出し、後を追う大企業は大体1年から2年は遅れているようです。

ネットのトレンドはそれが顕著で、SEOであれ、モバイルサイトであれ、ブログであれ、SNSであれ、みんな「これはくる」と思いながらも社会現象に至り認知が得られるのはずっと後のことです。

つまり「このビジネスはくるだろうけど、大企業が参入するからやめておこう」というのは、一概に正しい判断とは言えません。 大企業には大企業なりの制約やジレンマがあるのです。

そう考えると、改めて「早く動く」ことの 大切さを考える日々です。

2008/1/12 土曜日

後悔の経済非効率性

Filed under: 独り言 — admin @ 17:20:52

人は生きていると何かしらへこむことがある。ショックなことや悲しいことや。

何より、自分の失敗は一番つらい。自分のケアレスミスや何気ない一言が、将来にわたる後悔となる。生きていれば、よく後悔をする。

しかし、後悔は、非常によくない、と世の中では考えられている。「反省はしても後悔はするな」と。けれども、後悔をしないというのはそんなに簡単なことではない。

「あの時、ああしていれば」「あの時、なぜ気づかなかったのだろう」と自分を責めてしまう。知らぬうちに。

では、後悔の非効率性を論理的に考えるとどうなるか?考えてみた。問題は2つある。

1つ目としては、「それ自体が無駄である」ということ。後悔というものは、原則的に「過去に起こった何かに対して、悔いること」である。つまりは、「過去」のものなのだ。そして世の中では物理的に「過去のこと」は取り消せないし、変えることもできない。現状では。

そういう点において「後悔しても仕方がない」というのは事実である。後悔したところで過去はどうしても揺るがぬものなのだ。よかれ悪しかれ。

もう1点は、後悔は他の人に迷惑をかける、ということだ。人は自分では後悔をするくせに、人が後悔をしているとよく思わない。きっとそれは逆説的に「自分も後悔して嫌な気持ちになるからこそ」、他の人がそれをしているのを気分よくは思えない(思わないのではなく思えない)。

あるいは、「後悔でぐじぐじ悩んでいる」というのは、そもそもとして社会にも優しくなく、それゆえに、見ているほうとしても「愉快」ではない。

特に経営者や指導者など、決定権がある人においては特にその「ネガティブ」性が強くなる。つまり、後悔ばかりしている人に誰が付いていきたいと考えるだろうか?

上記の2点よりも、後悔は非常に経済的に非効率である。

しかし、個人的に「後悔はまったくせずに過去の過ちを全て忘れる」というのも、それまた問題があると考える。なぜなら、失敗は「プラス」に転化できてこそ、その失敗が生きる。つまり、過去は取り返せないけれど、過去の出来事がマイナスだと考えるのは自分自身である。そのため、そのマイナスと捕らえる価値観をプラスにできれば「過去のマイナス」は消せるというマジックが成立する。

ゆえに、後悔というものは、忘れるものではなく、プラスに転化してこそ、そこに価値がある。しかし後悔している対象をプラスにするのは簡単なことではない。時間もかかれば、実際に過去のそれに対するアクションをして、それをプラスにしなければいけない。けれども、上記の2点を踏まえると、いつまでもその後悔を持っていてはいけない。

そのため、私のおとしどころとしては、「後悔した」場合には、1日だけ、それをぐっと捉えることにしている。そして、その出来事を、1日でプラスにするようにする。もし1日でそれが出来ない場合は、忘れることにしている。

そうして、なんとか後悔と付き合って生きる日々です。

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